記念館正面入り口そばにあるコンクリ蓋のきずが気になる。
当時の物ではないことは分かるのだが,心惹かれて島吸うのだ。 |
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正面から見る。
やはりカッコいい。
かつて現役で活躍していたのである。
戦後70年近く経っても残っているのはすばらしい。 |
記念館西端の建物傍に供養塔の看板を見つけた。
これは行かない訳にはいかない・・・ |
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供養塔まで行くのに棟が3つあることを知った。
もちろん供養塔を目指したのでそのことに気付いたのである。
これは供養塔までの通路途中で記念館の建物をみたところである。 |
再び目を供養塔の方向(西)に戻す。
長い渡り廊下がある。
自分の母校(旧東京都立秋川高等学校)の寮の外1階を思い出す。 |
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記念館前道路から数えて2番目になる建物。
後からつけられたパイプがある。
かつて県立友部病院としてこの庁舎が使われていたのだ。 |
その名残で通路には,「病棟」の看板が残されている。 |
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2番目の棟と3番目の棟の間である。
この辺りも自分の母校ににている。
何か懐かしい気がする。
通路の端の方まで来た。
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さあ端まで来た。
で,さらに30m・・・
あった。
説明は右下写真をクリックして大きくしてみてほしい。 |
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