ゆきたんく

 覆い堂を出てすぐに芭蕉の句碑があった。日本全国いたる所に芭蕉の句碑はあるが、ここにある像の様子から年配になってからここを訪れたのであろうか。この約1kmにも及ぶ月見坂を登ってこられたのだろうか。平泉が藤原三代の頃に金文化華やかだったがそれも過去のこと。義経もここで人生の終焉を迎えている。
           「夏草や  兵共が 夢の跡」
どんな気持ちでこの句を詠んだのであろうか。