厳しかったが、優しかった父。

 親がいたから自分がいた。当たり前のことであるが、親は子どものことを愛している。自分の分身であるのだ。そしてなによりも子どものことを理解しようと努力している人たちなのである。(全てを理解できている訳ではない。)
 ゆきたんくは小学校のは時は草野球を楽しんだが、中学校では帰宅部とスポーツとの縁は遠ざかっていった。。高等学校へ進学してもスポーツは基本的には嫌いであった。ある部に入部したがいやいややっているのでは上達する訳がない。たまに自宅へ戻ってもそれは愚痴となって出てしまう。
ここで話を聞いてくれたのは父親であった。母は私がつらい思いをしていることを聞くのがつらかったのだろう。いつもその時はその場にはいなかった。今だから理解できるのだが、私のことを大変かわいがってくれたのだと思う。だめなことはだめと言い。好きなものを買ってくれたのだ。一人っ子ということもあったが、銭湯へ行けば顔を剃ってくれたり、体を垢すりで丁寧に洗ってくれた思い出がある。今たまに銭湯へ行ってもそんな光景は見ることはできない。
話を戻そう。
父親は「つらいならば、やめればいいだろ。野球と違うのだから。」
「なんで野球が出てくるのだろう。」と思ったが「今の日本で金が稼げるスポーツは野球か相撲か、プロレスだろう。」
父は金が稼げるかどうかがスポーツの価値基準になっているんだと考えていると思い、自分のことは棚に上げて落胆した覚えがある。ずいぶん後で気づいたことだが、就職が決まった時には大変喜んでくれたという。つまり私の将来のことを気にかけていたので「金を稼げる」という表現になったのだと思う。この時のことがあるので今自分の息子たちの話はなるべき聞くようにしている。
父は剣道三段、柔道三段の猛者であった。よく殴られ、「この野郎」と思ったことは星の数ほどあるが、よく考えたらかなり手加減してくれたのだと思う。そなん親心に気づくのは父を亡くしてからだった。
 職人肌の仕事熱心な父は、私がハンマー投げを始め、体が強くなり、意思が強くなり、自信がついてきたことを親戚にうれしいと話していたらしい。
 表だって何かを言われたことはなかったが、私が何かに一心に取り組むことを見つけたことに対しいつも応援してくれたのだと思う。
 そんな目立たない愛情、それが現在のゆきたんくの基礎になっているのだと考えるのである。